2009年09月07日
琵琶湖逍遙 12周目-10(木之本~長浜)2009.9.6
今日の始点---→
---→今日の終点

三味線糸で有名な西山の集落遠望。一面黄金色の田んぼを前にして、遠くの山裾に民家が並んでいる。典型的な「日本の原風景」である。
早いところでは、もう稲刈りが終わっている田んぼもある。

ここは西野水道。余呉川の氾濫を防ぐため、直接、琵琶湖に水を流すために設けられた放水路。ここには当初、江戸時代に幾多の困難の末に掘られた隧道、今は放水路としては使われていなくて、歩行者専用通路になっている二代目のトンネル、そして、昭和55年完成の大放水路の3本のトンネルが併行している。湖岸に道の無いこの付近では、このトンネルによってしか、琵琶湖岸へ出られないということが、琵琶湖一周における奇観でもある。
付近は西野水道公園として整備されており、立派なトイレ付きの休憩所もある。
この休憩所で、Kさんという人と出会う。
Kさんは、地元、西野の人で、山林関係のお仕事をされているとのこと。
Kさんと色々話をしている内に、ぼくが4年前に、この上の尾根道で、スズメバチの大群に襲われ、ヘリコプターで救助された話をすると、
「あれは、あなたでしたか。」
ということになり、ひとしきり、当時の話で盛り上がる。
ぼくが最初に救助を求めた伊香消防署の救急隊に山道の案内を頼まれたとのこと。しかし、現場に到着する前に、日野から来た防災ヘリが、遭難者(私のこと)を発見し、吊り上げて救助されるのを見ていたという。伊香消防署の救急車と日野の防災ヘリは同時に出発したのに、さすがに防災ヘリは速いと思ったそう。
その後の搬送先病院の決定についても。
木之本にある湖北総合病院にはヘリコプターの発着設備が無いので、長浜日赤病院に搬送された。このときにも、消防署の管轄が異なるので、引継ぎの手続きが行われたとのこと。
自分ひとりが救助を求めても、見えないところで色々な人のお世話になっていたことを、改めて痛感する。
ここで、Kさんと1時間半も話をする。

片山トンネルを出たところ。このトンネルが出来るまでは、この山を越える峠道が県道で、小学生がこの峠を越えて通学した旨のことが、尾根道の表示板に書いてあった。
朝、木之本を出発してから、今日初めて見る琵琶湖である。(西野の大放水路を通して、チラッとは見えたけれども。)ここから山梨子(やまなし)にかけての湖岸には、道路を初めとして、人工物は一切無く、琵琶湖は荒々しい自然の姿を見せている。琵琶湖周辺に一箇所位は、こういうところが残されていてもいいのではないかと思う。

山本山は、標高はそんなに高くはないが、どの方向から見ても、その特徴ある姿は、どこからでもよく目立ち、すぐそれと判る。
写真は南側からの眺めであるが、近江富士(三上山 432m)の子供のように見える。

逆光なので、竹生島はシルエットになってしまっているが、湖面は光を反射して、眩しい位に輝いている。

途中で出合ったアマチュアカメラマンの話では、今日は、姉川には、いやというほどたくさんのシラサギがいた、というので、期待しながら姉川大橋に差しかかる。しかし、シラサギは全く見当たらない。上流の方にちょっとした群れが見えるだけ。
姉川大橋の下で、大音響でロックバンドの演奏が始まっていた。これでは、鳥たちも遠くへ逃げざるを得ないだろう。

今日は、西野水道でKさんと長話をしていたので、予定が大幅に遅れてしまい、長浜に着く頃には、もうすっかり日も暮れてしまう。
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Posted by ミッチー at 15:18│Comments(0)
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