2007年12月28日
湖南のみち-05 堅 田 (2)
堅田の続き。
257 民家の間を抜けて湖岸へ
湖岸の集落ではどこでもそうであるが、ちゃんとした道でないところでも家と家の間の狭い隙間から琵琶湖岸に通じている路地がある。日常生活の通路になっているのだろう。
この写真の道は湖岸の遊歩道に連絡するために歩き易いようにきれいに整備されている。狭い隙間から覗く明るい景色に引かれてこの道を抜けると、広々とした琵琶湖の景色が広がる。
258 集落内の民家
新しく改修された民家だと思われるが、古い町並みを維持していくように、意匠、色彩等に注意深く配慮されている。堅田の集落内には、このように古い町並みを残すべく配慮して改修されたと思われる建物が多く見られる。
この民家の前は琵琶湖に続く運河沿いの公園になっており、その一角に、釦を押すと「琵琶湖哀歌」が流れてくる案内板がある。
♪ 遠くかすむは 彦根城
波に暮れゆく 竹生島
三井の晩鐘 音絶えて なにすすり泣く 浜千鳥 ♪
堅田=湖族 (湖賊)の郷としての伝統と誇りを色濃く残した特徴ある町並みを残していってほしいと思う。
259 出島(でけじま)灯台と三上山
集落の一角にある船板塀のある民家の間を抜けて湖畔に出たところにこの灯台はある。
琵琶湖大橋が出来るまでは、琵琶湖の一番くびれている部分の難所の目印として、重要な役を担っていたことだろう。明治8年に出来た、日本で唯一の木造灯台である。大正5年頃までは石油ランプを使っていたが、現在は電灯になっている。
役目を終えたこの灯台は、今では、日が暮れると自動的に点灯する外灯の役目をしている。
梯子が掛けてある火袋の中の大きな電球が灯ると、対岸の三上山の上にまあるいお月さまが出たように見える。
訪れる人もいないこの場所に佇んでいると、湖畔にいるということを忘れて、どこか海沿いの町に居るような気がしてくる。
260 琵琶湖大橋を望む
出島 (でけじま)灯台から見た琵琶湖大橋。
ここからは琵琶湖大橋を始め、対岸のリゾートマンションやホテル群も目と鼻の先である。
ここからごろごろした石の上を湖岸伝いに歩いて行くと、かつて琵琶湖で活躍していた丸子船を造っていた造船所跡があり、、湖中まで伸びているクレーンの鉄骨フレームが赤錆びて放置されていた。
261 堅田集落と三上山
堅田の古い集落は琵琶湖に沿う形で形成されている。
新市街のマンション8階からの眺めであるが、いかにも堅田らしい景色であると思う。
対岸正面は三上山。
262 水路 (クリーク)と三上山
堅田には内湖とそれらを繋ぐ水路 (クリーク)が多い。これら内湖や水路のすぐ際まで宅地開発や道路が迫り、コンクリートできれいに?護岸工事されていく。この景色もほんの2,3年前に消えてしまった。
両岸にヨシの繁る水路の向こうに集落が見え、それらのずっと後ろに対岸の三上山が覗いている典型的な堅田の原風景であった。
263 淡水真珠の養殖
堅田に残された内湖では盛んに淡水真珠の養殖が行われている。
母貝には20~30センチに成長したイケチョウガイを用い、母貝網篭(パールネット)に入れて水中に吊るす方式である。淡水真珠は堅田の内湖の外、湖東の西の湖でも大規模に行われている。。
淡水真珠は海産真珠より自然の形をした変形真珠であるところが好まれるらしい。
264 ヨシ原と堅田集落
琵琶湖大橋より堅田の湖岸を望む。
堅田の湖岸も出島 (でけじま)灯台から浮御堂にかけてはきれいに?護岸整備されてしまっているが、出島灯台から琵琶湖大橋にかけての湖岸は、まだこのようにヨシの繁る自然の湖岸が見られる。
ヨシ原の向こうに堅田の集落の屋根が光って見える。
写真には写っていないが、ここからは左の方に出島灯台や浮御堂も同時に望むことが出来る。

湖岸の集落ではどこでもそうであるが、ちゃんとした道でないところでも家と家の間の狭い隙間から琵琶湖岸に通じている路地がある。日常生活の通路になっているのだろう。
この写真の道は湖岸の遊歩道に連絡するために歩き易いようにきれいに整備されている。狭い隙間から覗く明るい景色に引かれてこの道を抜けると、広々とした琵琶湖の景色が広がる。

新しく改修された民家だと思われるが、古い町並みを維持していくように、意匠、色彩等に注意深く配慮されている。堅田の集落内には、このように古い町並みを残すべく配慮して改修されたと思われる建物が多く見られる。
この民家の前は琵琶湖に続く運河沿いの公園になっており、その一角に、釦を押すと「琵琶湖哀歌」が流れてくる案内板がある。
♪ 遠くかすむは 彦根城
波に暮れゆく 竹生島
三井の晩鐘 音絶えて なにすすり泣く 浜千鳥 ♪
堅田=湖族 (湖賊)の郷としての伝統と誇りを色濃く残した特徴ある町並みを残していってほしいと思う。

集落の一角にある船板塀のある民家の間を抜けて湖畔に出たところにこの灯台はある。
琵琶湖大橋が出来るまでは、琵琶湖の一番くびれている部分の難所の目印として、重要な役を担っていたことだろう。明治8年に出来た、日本で唯一の木造灯台である。大正5年頃までは石油ランプを使っていたが、現在は電灯になっている。
役目を終えたこの灯台は、今では、日が暮れると自動的に点灯する外灯の役目をしている。
梯子が掛けてある火袋の中の大きな電球が灯ると、対岸の三上山の上にまあるいお月さまが出たように見える。
訪れる人もいないこの場所に佇んでいると、湖畔にいるということを忘れて、どこか海沿いの町に居るような気がしてくる。

出島 (でけじま)灯台から見た琵琶湖大橋。
ここからは琵琶湖大橋を始め、対岸のリゾートマンションやホテル群も目と鼻の先である。
ここからごろごろした石の上を湖岸伝いに歩いて行くと、かつて琵琶湖で活躍していた丸子船を造っていた造船所跡があり、、湖中まで伸びているクレーンの鉄骨フレームが赤錆びて放置されていた。

堅田の古い集落は琵琶湖に沿う形で形成されている。
新市街のマンション8階からの眺めであるが、いかにも堅田らしい景色であると思う。
対岸正面は三上山。

堅田には内湖とそれらを繋ぐ水路 (クリーク)が多い。これら内湖や水路のすぐ際まで宅地開発や道路が迫り、コンクリートできれいに?護岸工事されていく。この景色もほんの2,3年前に消えてしまった。
両岸にヨシの繁る水路の向こうに集落が見え、それらのずっと後ろに対岸の三上山が覗いている典型的な堅田の原風景であった。

堅田に残された内湖では盛んに淡水真珠の養殖が行われている。
母貝には20~30センチに成長したイケチョウガイを用い、母貝網篭(パールネット)に入れて水中に吊るす方式である。淡水真珠は堅田の内湖の外、湖東の西の湖でも大規模に行われている。。
淡水真珠は海産真珠より自然の形をした変形真珠であるところが好まれるらしい。
琵琶湖大橋より堅田の湖岸を望む。
堅田の湖岸も出島 (でけじま)灯台から浮御堂にかけてはきれいに?護岸整備されてしまっているが、出島灯台から琵琶湖大橋にかけての湖岸は、まだこのようにヨシの繁る自然の湖岸が見られる。
ヨシ原の向こうに堅田の集落の屋根が光って見える。
写真には写っていないが、ここからは左の方に出島灯台や浮御堂も同時に望むことが出来る。
琵琶湖逍遙 打出浜~唐崎~比叡辻
琵琶湖逍遙 堅田~守山なぎさ公園~烏丸半島
琵琶湖逍遙 烏丸半島~打出浜 2012.11.25
琵琶湖逍遙 堅田 2012.10.8
琵琶湖逍遙15周目-14 2012.2.12
琵琶湖逍遙15周目-13 2012.1.19
琵琶湖逍遙 堅田~守山なぎさ公園~烏丸半島
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Posted by ミッチー at 05:18│Comments(0)
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